アール学派
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ノーベル経済学賞@2005 (Yu-ta)
ども、Yu-taです。今週初めに決まったのですけれど、相変わらず新派主義という事で、君らはセクトかね?という感じもしばしばですけれども、珍しく”昨年よりマシ”という今時の連ドラよりは真っ当な今回でした。
ゲーム理論というのは、それ自体では非常に役立たずでして、特にそれが独立に理論として成立すると思っている連中には殊更ですな。とある生物・経済学者のコメントのように”人生をゼロ・サムゲームと思うなかれ”といわれる様に、まぁナッシュ均衡でも非協力ゲーム解でも、なんでもいいんですけれども、前提とする人間の心理現象は相変わらずブラック・ボックスですから。
ただし、道具として概念程度の状況理解にはいいかと思う次第。最近○くなったYu-taでした。
昨年度は、受賞にもかかわらず、極東(書店)くらいでしか、書籍が見当たらず、っていうか日本人的にはど~でもよいのね、という感じの2004ですが、オーマン著は和訳されています。
今度出物で拾おうかと思ってますので、まだ手に取ったことはないですが。

ゲーム論の基礎
ロバート・J. オーマン 丸山 徹 立石 寛
4326931981


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ノーベル経済学賞にむけて(Yu-ta)
ども、どもどもども。
この季節となりますとソワソワするのは、オタクだからでしょうか?
それはともかく、もうすぐ今年の経済学賞がでますな。
と浮かれていても、あれですよ、例によって例のごとくだったりしますな。
思えば昨年度(2004)なんて、これもんですしたな、フリードマン大先生の
弟子っていうことで、はぁ~ん、そうなんだ~。で、誰?あんた。
という感じでしたな。
それはYu-taクン、君が無知だからデスヨ!
と心にズキっと着たので、確かめてみました!!

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方法論的な価値論争:(1)J,ロビンソンは使徒会へ入れたか?(Yu-ta)
ジョーン・ロビンソン(Joan,Robinson.)と言えば、日本でもなじみの深い経済学者で、昨今はともかく50年前までは女流の経済学者というのは他にはローザ・ルクセンブルグくらいしか有名人はおりませんのである意味では貴重な人であった訳です。ということでお約束からまりますと、J.ロビンソンとローザ・ルクセンブルグはどちらが美人かであったか?という事が非常に重要性を帯びてくるのですが、如何せん前者の写真しかみたことありませんし、しかも写真はかなり婆さんだったの判定不能。誰か教えてくれぃ!
さて、ロビンソンの価値についての指摘は次のような事を言っています。
(今日の社会学の使命は)『イデオロギーの原由を発見し、その様態(モード)と、イデオロギーへの適応の結果とについて研究し、そうすることによってイデオロギーを合理的な批判に従属させることである。あまりにもしばしば科学者たろうとする人々までがこの第一段階(イデオロギーの形成と強化という役割:Yu-ta注)で作業をしており、特定の利害関係につかえる何らかのイデオロギーを宣伝してしまっているのだ』
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方法論的な価値論争:(序)国民経済学は幻想であるか?(Yu-ta)
「フリードリッヒ・リスト的な意味合いでの国民経済学は幻想にしか過ぎません」というのは、とある研究会にてヨーロッパ経済を専門とする経済学の先生が言った一言です。誤謬なきために一応補足しますと、かく言うドイツという国は、ここ100年間を見ただけでも大きくは4回、国家としての領土が変わっているのに、経済はそのたびに壊滅になったか?否、決して政治的な領域の変化にも関らず、経済は逞しかった、という感じの意味合いでです。
さて、そんな訳で、政治空間と経済空間の一致を前提とした国民経済、或いは国民経済学は幻想なのでありましょうか?
経済学で “一国経済が”という枕詞が、基本=国内経済、オマケ=国際経済、海外貿易et al という構図を暗黙に示唆していて、実は現実とは違うというのは、的を得た指摘でありましょうし、特に国境という堤防が見えづらくなった現在の(域内的な)EUでは、もはや政治領域としての国境線と経済的領域、すなわち市場圏というのは必ずしも一致しない、という現象が顕著になりつつあるように見えることも確かです。
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欲望? それとも敬虔?”ゾンバルトその1” (Yu-ta)
“地獄の沙汰も金しだい”とは何時の時代からか、正確な事は歴史をやっている連中にまかせるとしまして、富が貨幣で蓄えられるようになってから、まぁそういう傾向はあったんでしょうね。
ご多分に漏れず、今の世の中でもそうなんですが、最近はアレらしいですよ。エンマ様を買収すると贈賄になりますので、エンマ様の会社、エンマ商会を買収しまして子会社にして、天国行きにするように命令するといいんだそうです。
さて、個人の欲望を積極的ではないとしても一先ずOKとした今の資本主義の起源を、ウェーバーあたりは実はイギリスプロテスタントの思考習慣に求めた例のは有名ですね。
逆に、いやいや、資本主義は人間の欲望を追及するために機械技術と、それを可能にする資金(を資本に転化する事)を供じたんだよ~とゾンバルトあたりはいう訳です。
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