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工学的・論理的な視点反駁への反論、の回答(Yu-ta)
ちょっと議論の争点が分らなくなってきたので復習~。

Yu-ta的な議論の争点は、人間の全存在から経済人のみを切り出して論じることは可能であるか? という問いでした。

ま、難しい事はYu-ta的には、はは~ん、と思って聞いているしかないんですけれども、つまりね、ネタを軸にして人間を取り扱う場合、先回の回答でもそうなのでしたけれども、Aについてはこれ、Bについてはこれ、というふうに、小出しにするのはバラエティに富んでいていいのですけれども、その核としての”人間”の定義というのかな、そんな仰々しいものではなくとも、全体としての、その人間に対する考え方が見えてこないところが難点です。その意味では最初に問いました件についての回答は、未だ頂いていないのかな、と思うところであります。

ちなみに状況適合理論の話がでましたので、それをネタにしてみますと、確かにあの理論では人間というのは限定された選択肢の中から選んでるものだ、というものですけれども、それでは一向に説明がなされていません。問題は歴史的一回限りの現実の事象で、どんな状況で、どんな選択がなされたか、を問うことで初めて意味のあることになります。もっとも社会科学とは本来そういうものですから、今更な感もありますが。
ついでにネオ・コンテンジェンシセオリーについてですが、人間の思考習慣は環境に依存する、と同時に、環境は人間の思考習慣によって変化する余地がある、とすればそれはその通りでしょう。ただしこれも、青木(1999)のように如何なる状況において社会制度(=規範的嗜好習慣)が変化するか、(まぁ青木のような均衡軸を用いた重力と逸脱の論理は、新制度学派的には嫌われ者らしいですけれども、Yu-ta的にはあれはあれで面白い発想ではあるな、と思いますが)その状況の解明にこそ、醍醐味があるのかと思います。


ちなみに、私が、工学的・論理的な視点・・・という同じアプローチをするならば、①人間の思考習慣というのは本来粘着質で保守性を好む性質がある。
②制度=嗜好習慣の変化は、外的強制を通じてのみ可能ではあるが、その場合は精神的苦痛を伴う
事を前提として、それでは現在の日本でならば、日本人の価値観・嗜好習慣からして、どれくらいの変化ならば許容されうるか?と問います。

夢原人氏の問題提起の場合では、A:経済人としての価値基準=功利性、と、
B:その人間としての価値基準=(任意)とのバッティングが考慮されていない事になります。この場合、Yu-ta的には、観察者はAの観点において論じられているが、問題なのはBの観点から比較考量されていない事ではなくて、Aの観点を価値基準として固定化された感じがするところ、、かな?(笑

ま、そんなところでした~ おつかれです~~
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