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見えざる革命 (Yu-ta)
Unseen – Revolution,ドラッカーの言う年金基金革命は、20世紀アメリカ株式会社と経済において大きなインパクトがあるだろう。それだけの意味合いがあるからだ。
かつて、フィッチ&オッペンハイマーが問うたように“会社は誰のものか?”は、資本主義と、その代表的な担い手の株式会社が一体、誰によって支配されているか、を問い続ける。おおよその答えはこうだった。会社は資本家のもの。ロックフェラーやカーネギーの巨万の富はアメリカの象徴でもあった。それを揺るがした契機は、バーリ&ミーンズによってなされ、1930年代には支配者は経営者、とされた。そして今や支配者は経営者から、年金基金へ、そして基金の担い手である多くの一般の人々へと推移したのだ、と。
本書が刊行された1976年頃には、かつてバーリとミーンズの時代に、広く浅く分散していた株式が、再びある機関へと集中していく趨勢にあった頃であって、当時のアメリカ資本主義の象徴的な一冊であったことは間違いない。

革命(Revolution)というのは2種類の場合があるだろう。1つは、ロシア革命、日本の明治革命のような、強力な力によって一過的に遂行されるものであって、これは誰の目にもはっきりと解る。それに対して、本書の表題のように見えざる革命というのは、気が使いないうちに、しかし着実に行われるものだ。多くの場合、それは誰も“革命”を行っているという意識すらない。産業革命のように、統率者がおらず、誰がどのような目的のために、という事もなく、しかしその結果は歴史的に重大な意義をもつ、という性格なものだろう。
ただしそれは冒頭でドラッカーの言うような年金基金社会主義(Pension Fand Socialism)ではない。年金基金のように誰の所有なのか明確ではなく、しかもそれが富の所有者達によってではなくて、多くはサラリーマン・公務員という人々によって積み立てられている基金であったとしても、社会主義のようなものではない。“資本がある。従って資本主義である。”(バーリ)、ではないが、株式をそのような基金で保有したからと言っても、相変わらず会社は利潤の獲得のために他ならぬ彼らを従事させているからだ。現代から見ればそれは年金基金資本主義、と理解する方が適当だと思う。系譜としてのステイクホルダー理論の欠陥の一つが、この誤解にありそうだ。
ドラッガーは著書「経済人の終わり」にて、ナチス・ドイツの性質と行く末を占ったが、彼自身、素養としてマルクスの洗礼を受けている事は最近の著書を見るよりはずっと色濃く反映している。ともあれ、ドラッカーがそれを年金基金社会主義とするのを彼の限界であると簡単に片付けるよりも、アメリカ経済の変化の過程と、同時にアメリカという社会を構成する人々の複雑さや多様さを示す一冊だとして読みとく方が面白そうだ。

新訳 見えざる革命―年金が経済を支配する
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker 上田 惇生
4478320845

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